第二次世界大戦後の朝鮮半島

 

朝鮮人民共和国樹立

 

 日本の敗戦を前に、総督府から治安維持の権限移譲を打診された朝鮮人民族運動家は、ただちに民族主義者から共産主義者まで含む統一組織として、建国準備委員会を設立した。そして建国準備委員会の呼びかけで全国人民代表者大会が開かれ、1945年9月に朝鮮人民共和国の樹立が宣言された。

 

 主席はアメリカで活動していた李承晩、副主席は民族主義者の呂運亨、国務総理は共産主義者の許憲が選出された。しかし、左右の対立は激しく、国外に逃れていた活動家との連絡も不十分で、しかもアメリカやソ連は朝鮮人民共和国を承認しなかった。朝鮮半島を占領したアメリカとソ連は、どちらも独立国家に否定的だった。

 

 

南北分断統治

 

 アメリカの軍政下に置かれた南朝鮮では、生産の回復が遅れ、インフレと食糧不足が人々を苦しめた。経済的混乱のなかで、各政治勢力間の抗争やテロが相次ぎ、米軍政庁は共産党の陰謀だとして弾圧を強めた。その一方で、GARIOA(占領地域救済政府資金)やEROA(占領地域経済復興援助資金)をはじめとするアメリカの経済援助が、かろうじて南朝鮮の経済を支えていた。

 

 北朝鮮ではソ連の指導によって各レベルの人民委員会が組織され、朝鮮共産党(後の労働党)の活動が活発になった。解放直後にはソ連から金日成が帰国してはじめて人々の前に現れ、中央行政機関として組織された北朝鮮臨時人民委員会の委員長となった。この委員会のもとで、地主の土地を小作農に分配して土地改革が進められ、軍隊や警察も創設された。その理論的根拠は、北朝鮮を民主主義の根拠地として強化し、米軍政下の南朝鮮を解放すべきだという「民主基地論」だった。

 

 

分断国家の成立

 

 李承晩は、米ソが主張する信託統治に反対し、南朝鮮だけの単独政府樹立を主張していたため、はじめ米軍政庁から敬遠されていた。しかし、冷戦の激化とともに、明確な反共主義を掲げる李承晩をアメリカも支援し始めた。

 

 そして、アメリカは当初の信託統治案から転換し、1947年の国連総会に国連監視下で総選挙を実施することを提案し、可決させた。これに基づいて派遣された国連臨時朝鮮委員団は、南朝鮮だけの単独選挙による政府樹立を提案し、ソ連圏諸国が棄権するなかで、国連小総会もこれを可決した。これに対して南北朝鮮で単独選挙反対の動きが激しくなったが、アメリカはこれを激しく弾圧した。

 

 こうして、48年5月に国連監視下で南朝鮮の単独選挙が実施され、国会議員が選出されて憲法が制定されたあと、李承晩が初代大統領に選出されて8月に大韓民国が樹立された。

 

 北朝鮮でも単独国家樹立へ向けた動きが加速した。1947年11月には憲法草案の作成が開始され、48年に入ると国会にあたる最高人民会議の代議員が選出され、9月には朝鮮民主主義人民共和国が樹立されて、金日成が初代首相となった。

 

 

朝鮮戦争

 

 分断国家として成立した韓国と北朝鮮は、どちらも自国の正統性を主張し、武力による朝鮮半島統一を公言していた。韓国はアメリカに軍事援助を申請したが、アメリカは独裁やインフレなどの不安定な情勢を憂慮して攻撃用兵器を除く援助にとどめ、しかも1949年にはアメリカ軍が撤退した。

 

 一方、ソ連軍も48年までに北朝鮮から撤退していたが、49年に北朝鮮はソ連・中国と軍事協定を結んだ。そして、ソ連からは戦車や戦闘機、艦艇などの援助を受け、中国軍に所属していた精鋭の朝鮮人部隊も帰国して朝鮮人民軍に編入された。

 

 こうして朝鮮半島から米ソ両軍が撤退して力の空白が生まれるとともに、韓国と北朝鮮の軍事力のバランスが不均衡になった。そして、韓国では各地でパルチザン闘争(労働者・農民などで組織された非正規軍)が展開され、1950年の国会議員選挙では、与党が大敗した。このような不安定な情勢のなかで、50年6月に北朝鮮軍が南下を開始し、朝鮮戦争の火ぶたが切られた。

 

 アメリカはただちに国連安全保障理事会の召集を要求し、ソ連が欠席するなかで北朝鮮を非難して38度線以北への撤退を求める決議を可決した。北朝鮮軍がソウルを占領すると、米軍はこれに対抗して釜山に上陸し、米軍を主力とする国連軍の派遣も決定された。やがて、北朝鮮軍が釜山・大邱を除く韓国全土を制圧すると、国連軍が仁川に上陸してソウルを奪回した。さらに国連軍は安保理決議の枠を越え、中国国境付近まで北朝鮮軍を追い込んだため、中国が人民志願軍を参戦させて、ふたたび国連軍と韓国軍を南に撤退させた。

 

 こうして両勢力は38度線をはさんで膠着状態となり、1953年に入ってアメリカでアイゼンハワー政権が誕生し、ソ連ではスターリンが死ぬなど情勢が変化すると、休戦への情勢変化が生まれた。そして53年7月、北朝鮮軍・国連軍・中国軍の三者(韓国は含まれていない)が休戦協定に調印した。この間の死者は、軍民合わせて200万人を超えるといわれている。