中国古代の歴史と儒教の成立

 

 

・周(紀元前1046年頃 ~紀元前256年):中国古代の王朝。周代において中国文明が成立

 

・春秋時代  前770~前403 周が衰え、諸侯が争った時代

 

・孔子    前550~479

 

・戦国時代  前403~前221 七国(韓・魏・趙・斉・秦・楚・燕)が争った時代

 

・秦の始皇帝 中国を統一  前221

 

 

 中国古代に周という国が覇権を握っていた時代には、身分制度に基づいて秩序だった社会が営まれていた。しかし、その周の勢力が衰えて春秋戦国の時代になると、数多くの列強が覇を競った戦乱の時代になった。諸侯は武力によってその力を誇る「覇道」に従い、実力ある者が目上の者を蹴落として成り上がる実力主義が横行していた。

 

 その社会を変革すべく、「諸子百家」と言われる孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの学者・思想家が、儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派をうちたて、思想変革の時代を創っていた。

 

 そんな時代にあって、孔子は周の時代の古き良き社会の復活を理想とし、身分制度による秩序と、支配者が徳を持って社会を支配する仁道政治を掲げた。孔子の弟子たちは、孔子の思想を奉じて教団を作り、孔子と弟子たちの語録は『論語』にまとめられた。孔子は3000人の弟子がいたといわれ、孔子の死後、注釈書や論文集、さらに新たな学説などが生み出され発展をつづけた。漢代に、国家の教学として認定されたことにより「儒教」が成立した。その後、朝鮮半島、日本、ベトナムなどにも伝えられ「儒教文化圏」を形成し、周辺国にも大きな影響を与えた。

 

 

儒教の教義

 

 孔子は乱世の中国に生まれ、武力による覇権争いを治めるためには、人倫と政治の中心に五常(仁・義・礼・智・信)のうちの、「仁」を据えることによって平和を回復しようとした。そのため儒教は「修己治人之学」(修身・斉家・治国・平天下)と言われ、倫理と政治の二つの面が連結しており、不可分であるとした。孔子の徳治主義は、家族愛を根本におき、これを国家にまで発展させて天下を治めようとした思想である。

 

 この「仁」とは人間関係を表し、人間相互間の愛であるが、愛とは近親にあれば強く、遠くになるほど弱くなるものである。よって、序列のある差別愛のことを指し、宗教のような博愛や慈悲と言った無差別の愛ではない。つまり、儒教とは最初から差別を含んだものであり、皆が平等であるという思想ではなかったのである。