公的義務より家族中心主義

 

 先に見たように朱子学では「忠」よりも「孝」を人倫の根本とした。そのため、日本人にはとうてい考えられないようなことが、当たり前のこととして実践されるようになった。

 

  例えば、自国の軍隊が外国軍と戦わねばならず、まさに母国が危急存亡の秋(とき)にあるとした場合、司令官は当然ながらプライベートな事情は一切考慮せず、たとえ子供が病気であっても国のために戦わなければいけないというのが、世界のほとんどすべての文明の常識といってもいいだろう。それは国の主権者に対する忠誠を示すことでもあり、また軍の司令官として公的義務を果たすということでもあるからだ。

 

 ところが儒教では、もしその司令官の父親が重病にかかったとすれば、彼は直ちに任務を放棄して父のもとに帰って看病しなければならない。これが儒教文明における絶対的な掟であり、たとえ皇帝ですら、この司令官の行動を批判することは許されないのである。

 

 絶対的な権力を持つ皇帝ですら、父親の病気を理由に戦線離脱する司令官を引き留めることができないほど「忠」よりも「孝」が大事である。ということは、社会において公的義務を果たすより私的な父親の病気や先祖の祭祀儀礼のほうが優先されるということである。官僚も軍人も、父親が亡くなると公職を辞し、故郷に帰って数年間の喪に服することが当然とされるに至った。

 

 

親族への貢献こそが最大の善

 

 2012年12月に行われた韓国大統領選挙において、朴槿恵候補は「私には面倒をみる家族も、財産を譲る子供もいない。国民が私の家族で、家族のためにすべてを捧げる母の気持ちで国民に尽くす」と力説していた。

 

 韓国では、歴代大統領のファミリー汚職によって、大統領本人か親族が有罪となっている。この悪しき伝統が今度こそ断ち切れると期待したことが、初の女性大統領誕生につながった。

 

第11~12代 全斗煥(1980~88年):光州事件や不正蓄財を追及され、死刑判決を受けた(減刑の後、特赦)

第13代 盧 泰愚(1988~1993年): 数百億円の不正蓄財により退任後に逮捕

第14代 金 泳三(1993~1998年):次男があっせん収賄と脱税で逮捕

第15代 金 大中(1998~2003年):息子3人が収賄で逮捕

第16代 盧 武鉉(2003~2008年):実兄が収賄で逮捕、当人も追及を受け自殺

第17代 李 明博(2008~2013年):在職中に側近、兄が逮捕

 

 韓国では、朴槿恵大統領の前の大統領は6代続けて一人の例外もなくファミリー汚職で親族か本人が有罪となっている。まさに異常事態である。韓国は複数政党制で、政権交代も行われている。前の大統領がファミリー汚職で失脚すれば、当然次の候補はファミリー汚職根絶を公約に掲げて選挙運動を進める。それでもこのように汚職が連続してしまっている。

 

「親族も子供もいない」とクリーンさをアピールして当選した朴槿恵大統領も、2017年3月、親友の崔順実被告(60)が政治的便宜供与と引き換えにサムスングループなどから巨額賄賂を受け取るのを支援した疑いがかけられ、任期中に逮捕されてしまった。

 

 

 一体なぜ最高権力者による汚職を根絶できないのだろうか。それは「孝」という家庭内道徳が公的道徳に優ると考える朱子学の教えが根強く社会に蔓延しているからである。親族の一人が大統領になると、少しでも血のつながった親族は大統領に「我々親族に便宜を与えよ」と要求する。例えば、公共工事の対する利権をよこせ、うちの息子を政府の高官として採用せよ、などである。韓国でも、儒教の本家である中国でも、親族からの要求を断ると、人間としての道徳を持たない背徳者とみなされてしまう。「孝」は「公」に優先するからである。

 

 一国の指導者がこれである。あとは推して知るべし、社会全般が「親族への貢献こそが最大の善」という考えになり、自分の親族の繁栄を願うあまり、他人はどうでもよいとなる。この自己中心的な考え方に、中華思想が加わって国際問題では極端な「自国中心主義」となる。日本人が辟易するほど執拗に繰り返される「慰安婦問題」「徴用工問題」などの根本原因が見えてきたように思う。