歴史歪曲

 

 韓国の大統領や政府高官は、折ある毎に「日本は正しい歴史認識を持て」と要求する。最近の「慰安婦問題」にしても「徴用工の補償問題」でも、「正しい歴史認識ができないのは、韓国ではないか」と私は苦々しく思っている。これについて実に説得力のある解説に出会ったので紹介したい。

 

 

井沢元彦『逆説の日本史14 近世爛熟編』小学館文庫 2011年 

 

(497)世に「真・善・美」という言葉があるが、学者というものは、善(正義)よりも真(真実)の追及に重きを置く、多くの人がそう思っている。しかし、儒学に関しては違うのだ。

 

 儒学というものは、真実より理想すなわち厳しい言葉で言えば虚構を求めるもので、われわれ日本人が、いや世界の人々が一般的に理解している「学問」というものとは実は大いに異なるのである。

 

 だからこそ儒学(学問)というより儒教(宗教)なのだ。一般に中国人は儒教という言い方をあまり好まないが、彼等にはあまり宗教という自覚がない。しかし、儒教が「真」よりも「善」や、その結果としての「美」を求める宗教である以上、それは他の学問には無い独立した特徴を持つようになる。

 

 それは、ずばり歴史歪曲なのである。

 意外かもしれないがこれが事実だ。

 

 そもそも儒教には孔子の頃から歴史歪曲があった。

 

 孔子は、乱世をおさめるためには周王朝の以前の昔に帰れ、と主張した。つまり昔はよいと言うのである。尭・舜・禹のような聖王がいて理想の政治をしていたのだから、その時代の政治に戻ればよいと言うのである。しかしそうした伝説上の理想的君主が本当に理想的な人間だったか、実は確証は何も無いのである。確実な証拠もないのに、単なる伝説(神話)だけを根拠とし「過去はこうだった」と決めつけてしまうこと。つまり本当にどうだったか(真)を問題にするよりも、過去はこうに違いない(善あるいは美)として決め付けてしまう。これは証明不可能な概念(たとえば「神」、この場合は「聖王」)を「信仰」で断定してしまうことで、まさに宗教そのものである。

 

 もし、仮に尭が悪王であったという証拠が見付かっても、孔子は決してそれを信じようとはしなかっただろう。キリスト教徒が「イエスは人間だった」という「証拠」があったとしても絶対に信じないのと同じことだ。

 

 そして、もし仮に、この伝説的な聖王たちつまり「先王」が、本当に立派な人たちであったとしても、それは古代の極く小規模な邑(むら)といっていいような小世界で実現したことで、後の世のように人口も多く国の規模も大きいところではそんなことは初めから無理だ―そういう主張をする人々が後世に出た。といっても孔子の時代からみての「後世」であって、今から2300年近く前、ちょうど始皇帝が中国を統一する直前のことだ。

 

 韓非(あるいは韓非子)という、法家、つまり法律やそれに基づく制度によって世の中を治めていこうという人々にとって、儒教の徒の主張「昔はよかった。昔に帰れ」は、あまりにもバカバカしい主張であった。

 

 韓非はそれを「守株」というたとえで批判した。

 

 御存じだろう。北原白秋作詞で童謡『待ちぼうけ』にもなっている話だ。ある日農夫が働いていると、森から飛び出したウサギが木の切り株に当たって「ころり」と死んでしまった。つまり、農夫は何の苦労もなくタダでウサギの肉を手に入れたわけだ。それからというもの農夫は真面目に「せっせと野良かせぎ」をするのをやめてしまい、毎日、切り株を見張って、つまり「守株」して暮らすようになった。そこでせっかくの畑は荒れ地になってしまった。

 

 読者の皆さんはこの男をどう思うか? 「なんてバカな奴。そんなウマイ話が二度とあるわけがない」、そう考えるのではないか?

 

 韓非もそう考えた。だから自著にこの話を書いたあと、次のように結んだ。

 

 今欲以先王之政 治当世民 皆守株之類也

 今、先王の政をもって当世の民を治めんとするは、皆守株の類なり

 

訳すまでもないだろうが、あえて訳せばもちろん次のようになる。

 

「昔はよかったなどと言って、その方法で現代の世を治めようなどと考えている者(儒教の徒)などは、みんなこの大バカ者の農夫と同じことだ」

 

 しかし、儒学者は、いや儒教の徒はそんな痛烈な批判を浴びても決して屈しはしなかった。なぜなら「先王の政」が正しかったということは「歴史的事実」というよりは「信仰」だからである。

 

 儒教には「開祖」の孔子の時から、このような歴史歪曲体質があったのだが、その遺伝子は不幸なことにさらに一段と強化された。

 

 儒教の「中興の祖」であり、朱子学(実際には朱子教と言った方がいいのだが)の開祖である朱子(1130~1200)は、中国の漢民族の国家の中でもっとも軍事的に弱かった南宋の時代に生まれ育った。だから、朱子学は司馬遼太郎の指摘するように、「真」を追究する学問ではなく「善と美」を求める「正義体系(イデオロギー)」になってしまった。イデオロギーというのは、一種の「宗教」であることは言うまでもない。

 

 

(504)儒教にはもともと歴史を歪曲する性質がある。すなわち、「実際はどうであったか」よりも「どうあるべきであったか」が問題となる。もともとそういう性質であったところに、朱子がさらに排他的・独善的な性質を強化してしまった。

 

 それはこういうことだ。

 

 儒教の根底には、中国こそ世界の中心で一番優れた国家である、という中華思想がある。極めて傲慢な思想だが古代においては事実でもあった。確かに、諸葛孔明が石造りの城の中で現代とほとんど変わらないような中華料理を食べていたころに、日本の邪馬台国女王の卑弥呼は掘っ立て柱の「宮殿」に住んで、ポンチョのような貫頭衣をまとっていたのだから。

 

 しかし、まさに朱子の生まれ育った宋王朝の時代には、その「中華民族(漢民族)」の常識では有り得ない事態が起こった。金や蒙古(後の元)など、漢民族よりはるかに野蛮な民族が漢民族を圧迫し支配するという事態だ。

 

 こうした「有り得ない」事態の中で、本来「存在論」「認識論」として哲学的に深められたはずの朱子学は、「歴史の現実」から目をそらし「有り得べき歴史」、つまり「美化」といえば聞こえはいいが、真の歴史を歪曲した歴史「現実とは違う歴史」を「事実」として求めるようになってしまった。

 

 その典型的な例が現代の韓国である。

 

 韓国という「小中華」から見れば日本は野蛮国であり、本来なら日本が韓国を支配することなど「有り得ない事態」である。しかし、日本が韓国を植民地支配したことは事実で、この歴史上の事実はいまさら変えられない。

 

 では、そんな「有り得ない事態」が実際に起こったことを、「歴史上」どう説明すればよいか?

 

 日本という国家が、あるいは日本人という民族が、まさに「忠臣蔵」における吉良上野介のように極悪非道で狡猾で残虐だったことにすればいい。そうすれば、文明人で正義の士で優秀な韓民族が支配されてしまったのも、止むを得なかった、ということになるからだ。

 

 当然、日本の植民地支配には、韓民族にとってプラスになったこと、意味のあったことなど一切なく、日本人は常に韓国人を弾圧し搾取していた、という「歴史」にしなければならなくなる。

 

 もちろん、韓国にも西洋流のまともな歴史学を学んだ良心的な学者もいる。その中の一人、ソウル大学・李栄薫教授は、歴史学者として当たり前の「史料を分析する」という、まっとうな手法で、植民地時代の日本の主に農民政策を調べた。その結果、一般に言われているような搾取はなく、むしろ日本の統治は極めて穏当なものであったという調査結果を発表した。

 

 史料の検証によって専門家が事実を確定したこと。これにはさすがの韓国のマスコミも「非難」は難しかった。だが、まったくなかったわけではない。冷静で公平な歴史研究に、しばしば「親日的(つまり悪人)」という罵声が浴びせられるのが、現代の韓国の病弊である。

 

 韓国では、当たり前のことでもそれがマスコミによって「親日的」と判断されると、社会的地位を失いかねないような厳しい非難にさらされる。その中、李教授は敢然として真実を発表した。

 

 だが、その結果、真実を追求することよりも、歴史を「美化」することに専心する韓国マスコミの執拗なマークを受けることになった。

 

 結果はどうなったか。李教授はいわゆる「従軍慰安婦」問題でのテレビ発言を「歪曲」して解釈され、「元慰安婦」の前で土下座させられた。マスコミの「公開処刑」にあったのである。これで「日本の植民地支配には美点もあった」という歴史の真実は、ますます闇に葬られるだろう。まさに「一罰百戒」。若手の研究者は「真実なんて言うべきではないんだな。マスコミに迎合しているのが一番だ」と思っただろう。       (以上引用終わり)

                               

 

 韓国の中学生、高校生は国定の歴史教科書で歴史を学んでいる。しかしそこには事実に基づかない自国に都合のよい歴史がたくさん記述されている。韓国のことを調べていると私には信じられないことがいくつもあるが、これもその一つである。教科書でウソのことを教えるなんて、まったく考えられないことであるが、これに関して分かりやすい解説があったので紹介したい。

 

 

韓国の歴史はファンタジー

 

宇田川啓介『韓国人 知日派の言い分』飛鳥新社 2014

 

(100)言論や学問の自由を標榜しながら、歴史を現在の統治の都合からのみ見定め、過去を「遡及的に創作する」民主国家がある。韓国である。例えば、韓国の国定教科書によれば、先の大戦末期、「光復軍」なる朝鮮人抗日部隊が、日本軍と戦って独立を獲得したことになっているが、そんな記録はどこにもない。1945年8月15日に日本が敗戦を受け入れ、米軍が朝鮮半島に軍政をしいた9月7日までの約3週間、治安を維持していたのは日本であり、独立戦争まがいのものすら起きていない。にもかかわらず独立戦争を戦ったと教科書では教えているのだ。これは歴史ではなくファンタジーである。

 

 日韓併合により、韓国の富のすべてを収奪され、近代化が遅れたとか、20万人の処女が日本軍に強制連行され、性奴隷にされたとかいう法外な話は、すべてファンタジーである。この「現在の都合で捏造された」歴史は想像の産物であるから、当然のこととして過去との間で齟齬を生む。その齟齬を、驚くべきことに韓国人は「信じろ」という無手勝流で克服する。従って反論は無効である。都合が良いことに韓国は戦後、漢字を捨て、ハングル文字一辺倒の社会に移行した。だから過去の史書や文物を読むことができるのは一部の知識層のみになってしまった。イギリス人のイザベラ・バードが「悪政はこれ以上ひどくなりようのない状態」と呼んだ李朝末期の貧困や差別も、ほとんどなかったかのごとく語られる。こうした韓国の歴史を筆者は「こうありたかった歴史」と呼ぶ。日本政府が「河野談話の再検証」というと「火病」にかかったかのように反発するのも、そこに理由がある。歴史に学ぼうとしないのは韓国人自身なのだ。

 

 

小さな事実よりも大きな真実

 

(241)韓国のこうした態度(法治国家ではなく情治国家)をおかしいと思っているのは、日本人だけではないのです。しかし最近では、中国人がやってきて反日を煽るから、昔の清国と李氏朝鮮のように、連携して日本を悪者にし、自分たちの歴史を否定する行為に拍車がかかっている。

 

 不思議なのは、「戦時徴用工」問題でも靖国神社参拝でも、韓国人は、消すことのできない過去の事実を自ら否定してしまうが、なぜそうなるのか知り合いの大学教授に尋ねると、「韓国のことわざに〝小さな事実よりも、大きな真実〟というのがある。」との答えが返ってきた。

 

 日本にも似たような言葉がある。例えば「物事の裏を見よ」とか「行間を読め」は、表面に出ていない意味を忖度しろということであり、その意味では「小さな事実よりも、大きな真実」と似ている。しかし日本では、あくまで事実の奥に真実があるとされているのであり、事実を無視し、あるいは事実を隠蔽する意味ではない。事実関係の先に見えない真実が隠されているという感覚だ。

 

 これに対して、韓国人は真実があれば事実を無視してもかまわないというのである。もっといえば、「自分たちの想定した真実が大きな目標である場合は、小さな事実は否定してかまわない」という意味なのだ。日本では「事実」と「真実」は同一線上にあると考えられているのに対して、韓国の場合、「事実」と「真実」は別々な概念の下に存在し、場合によっては対立的な立場になるというのである。(以上引用終わり)