厳しい身分制度

 

 厳しい身分制度を敷いたのは、人間にはそもそも序列があり、それを守ることによって安定した社会が生まれるという儒教的な考え方があったからである。

 

 富を奪う身分と奪われる身分に二分でき、奪われる側は甚だしい劣悪な生活に追い込まれ、庶民文化・教育・伝統・芸能・職人の技術・労働意欲などが全く育たなかった。

 

 地方長官や中央の役人が全ての権限を握り、身分が下の者から富を奪う為にその権限を利用していた。少数の支配者にとっては理想国家であろうが、支配される大勢の人たちにとっては劣悪非道の暗黒国家であった。

 

 日韓併合前の朝鮮半島の身分制度 は大きく4つの身分に分かれていた。

 

1、両班

2、中人 : 外国語・医学・天文学・法律学など特殊技術を学んで世襲した。

3、常民 : 農・工・商に従事する人を言うが、その大部分は農民。国家に対して租税・貢賦・軍役など各種の義務を負担したうえに、地方官や郷吏などの搾取対象になって、その生活は一般的にとても悲惨だった。

4、賤民 : 商工業に従事する人。両班に所有され特に職業を持たない奴婢。

 

 賤民は家畜と同じで、所有者は生殺与奪の権を有し、売買、略奪、借金の担保、贈与などの対象になった。奴婢は公賎と私賎の2つに大別されていたが、その中にも多くの階層(七般公賤・八般私賤)があった。粛宗 16 (1690) 年の大邱地方の統計では、奴婢の人口は全体の約 43%,戸数は 37%であった。賤民は生活基盤や土地を持たないため、島や村ではなく多くは都市部に住んだ。首都漢城の場合は人口の70%以上が奴婢であったといわれる。

 

 

 奴婢は主人の財産であるため、主人が殴っても犯しても売り飛ばしても、果ては首を打ち落としても何ら問題はなかった。それこそ赤子の手を捻るように、いとも簡単に主人は碑女たちを性の道具にしたのであった。奥方たちの嫉妬を買った婢女は打ち据えられたり、ひどい場合は打ち殺されることもあった。朝鮮王国末期には、水溝や川にはしばしば流れ落ちないまま、ものに引っかかっている年頃の娘たちの遺棄死体があったといわれる。主人の玩具になった末に奥方に殺された不幸な運命の主人公である。(林鐘国他『ソウル城下に漢江は流れる』)

 

 

 賤民のなかで白丁が最下層とされ、目印として平壌笠と呼ばれる笠を被って明示することを義務づけられた。

 

 朝鮮半島で白丁が受けた身分差別は、以下のようなものである。

 

1、族譜を持つことの禁止。

2、と畜、食肉商、皮革業、骨細工、柳細工以外の職業に就くことの禁止。

3、常民との通婚の禁止。

4、日当たりのいい場所や高地に住むことの禁止。

5、瓦屋根を持つ家に住むことの禁止。

6、文字を知ること、学校へ行くことの禁止。

7、他の身分の者に敬語以外の言葉を使うことの禁止。

8、名前に仁、義、禮、智、信、忠、君の字を使うことの禁止。

9、姓を持つことの禁止。

10、公共の場に出入りすることの禁止。

11、葬式で棺桶を使うことの禁止。

12、結婚式で桶を使うことの禁止。

13、墓を常民より高い場所や日当たりのいい場所に作ることの禁止。

14、墓碑を建てることの禁止。

15、一般民の前で胸を張って歩くことの禁止。

 

 これらの禁を破れば厳罰を受け、時にはリンチを受けて殺された。その場合、殺害犯はなんの罰も受けなかった。白丁は人間ではないとされていたためである。

 

 現代においても、韓国では障害をもつ者に対して、平気で蔑みの言葉を投げるから、障害者にとっては厳しい国であるそうだ。政治家でさえライバルの政治家をこきおろすときに、相手や相手の家族が身体障害者であれば、公衆の面前で堂々と指摘するほどである。

 

 もう一つの典型例が、不美人にたいする差別である。たとえば、適齢期をすぎても未婚でいると、器量が悪いから結婚できないという意識で見る社会である。女性は外見だけで価値を判断されるから、韓国の女性は物心がつくころから「外見の美」というものに特別の関心をいだくようになる。

 

 このため、韓国では顔の整形手術がさかんに行われている。夏休み期間中や卒業間近となると、美容整形にはしる女性が多い。外見から社会の差別対象とならないように、40万円ほどの金をはらって手術する者がきわめて多い。